青い月

今、私たちにできること。

路上で手をつないだまま息絶えた子供たちの遺体。泣きながら家族を捜す人々。ミャンマーの反政府系インターネットサイト「民主ビルマの声」 (DVB)は7日までに、サイクロンの直撃で壊滅的な被害を受けた、イラワジ川河口地域の生存者の証言を伝えた。遺体は茂みや小川など至る所に散らばり、回収作業も行われないまま、猛暑のなか異臭を放っているという。国営メディアは7日夜、死者2万2980人、行方不明4万2119人と報じたが、被災の全体像は依然として不明だ。

生存者がDVBに語ったところによると、嵐とともに高潮が村を襲った。倒れた木の下敷きで死亡した住民も多い。人に交じって家畜の死骸(しがい)が散らばり、生存者も家を失い、多数が路上で眠っている状態だという。 

サイクロンは「ナルギス」と命名された。国連人道問題調整事務所の担当官は7日、河口地域で「(千葉県とほぼ同じ面積の)5000平方キロメートルが水につかっている」と述べ、推計で約100万人が家を失い、救援を必要としていると明らかにした。〜5/8付 毎日新聞〜



神様は、民主化と引き換えに、ビルマにどれほどの受難を与えるのでしょうか。そして、一体どれほどの命を奪うのでしょうか。あれから、一年も経っていないのに。たった何日かで、何万人もの人々が命を落としているということを、僕は想像することができません。軍政は、サイクロンが来ることがわかっていたのに、知らせることも、何もしませんでした。この所謂、出来レースと言われている、新憲法案の国民投票を控え、いまだに、軍は動こうさえしません。援助さえ受け付けようとしません。それは、今回のサイクロンが、今後の体制に大きな影響を及ぼすからでしょう。援助と言う形でも、外国勢力がビルマに入れば、国の根幹の体制を揺さぶることになります。そして、民衆の悪政に対する鬱積していたものが爆発し、一気に民主化へと進むことが予想されます。しかし、また多くの血が流れてしまいます。ミャンマーの背景には同じ社会主義国家の中国がいます。そして、日本はもともとビルマとの友好的な関係があります。大事なことだとは思うけれど、どうか、少しだけでも、ビルマのことを話しあって欲しい。今、この瞬間も多くの人が怯えているのだから。そして、追い打ちをかけるように、長く続く雨期が、すぐそこまで来ています。

ワールド・ビジョン・ジャパンで緊急募金が始まりました。決して、対岸の火事ではありません。今、あなたにできることを、どうかよろしくお願いします。
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小代焼の花器を。



giへ。久留米かすりを買いに。そこで、思いがけない出逢いがありました。花器を集めるのが、妻公認の趣味なのですが、giで、初めて熊本県荒尾の、小代焼を目にしました。幾つか手にとってみて、花を生けるときをイメージしてみて、いちばん素朴な花器を、ひとつ買いました。小代焼は、別名を五徳焼と。五徳とは、腐敗しない・生臭さが移らない・湿気を呼ばない・毒を消す・延命長寿が得られるということだそうで。暮らしに生きる器として、実用性が高そうなので、これからもずっと、使っていければと思います。

さて、その花器に生ける花は、月麦で。御供所の花屋「月麦」は、通常、土日はお休みなのですが、今週の日曜日が母の日ということもあり、土日ともに、お店が開いているそうです。なかなか、足を運ぶことができなかった方は、ぜひぜひ、この機会に。


あ、もひとつ。民芸つながりで。皆川明さんの家づくりの様子が垣間みれるので、ミセスを、恥ずかしながら、ずっと、読んでいるのですが、別ページの伊藤まさこさんの松本案内が良かったです。松本に、かなり行きたくなりました。ちょうど、手仕事フォーラムの方でも、拝見していたので。
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大野教会。



長崎へ、外海町へ。妻にずっと、見せたかった紺碧の海へ。見せたかった教会へ。外海町の、大野教会は、瓦時敷きの平屋造りの、とても小さな教会。起伏の激しい丘陵地に気づかれないように、ひっそりと佇んでいるため、見過ごしてしまいそうなくらいです。でも、僕は、長崎の観光スポットにもなっている大浦天主堂に代表されるゴシックな教会より、素朴で地味な大野教会に、より美しさと、親しみを感じます。大野教会を見ると、教会と言う建造物が、建築家のものではなく、ましてや観光客のものでもないことがわかります。信じる。ただ、ひとつの神様を信じるという、その、とてもシンプルなことが、激しい弾圧で、とても困難であった時代。そんな時代に、フランスからの宣教師、ド・ロさんの指導の元、極めて貧しいその土地にあった資源を使い、身を削りながら、みんなで、石をひとつひとつ積み重ねてできた教会は、その土地で暮す人たちにとってまさに、希望であり、願いだったでしょう。差し込む光と、吹き上げる風も。こんなにも、尊く穏やかで、なんだか優しくなれるのは、ド・ロさんが、遠く、僕らが暮らす現世も、そして、もっと遠い未来へも、温かい眼差しを持ち続けていたからに、他ならない気がしました。妻も、「言葉にできない」と、感慨深げでした。でも、そのとおり。考えるんじゃなくて、感じる。そうして、紺碧の海も含め、同じ空間で、同じ体感ができたことは、とても嬉しく、実りのある出来事でした。

女性フォトグラファーの、しらいさんが、その光を収めてくれています。こちらから、どうぞ
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星とたんぽぽ。



青いお空のそこふかく、海のこいしのそのように、夜がくるまでしずんでる、昼のお星はめにみえぬ。見えぬけれどもあるんだよ。見えぬものでもあるんだよ。

ちってすがれたたんぽぽの、かわらのすきに、だぁまって、春のくるまでかくれてる、つよいその根はめにみえぬ。見えぬけれどもあるんだよ。見えぬものでもあるんだよ。 〜金子みすゞ〜



三月の風と、四月の雨が、五月の花を連れてくると言います。なので、先週や、今日のような四月の雨は、なんだか嬉しくなります。植物たちが、土の中で、つぼみの中で、踊っているような気がして。今日の雨で、萌える(なんだか使いづらい世の中になってしまいました。好きなコトバなのに)新緑は、一層、輝きを増すでしょう。大切なことは、目に見えないものばかりですね。ほんと。
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潮干狩り。





さすが、唐津育ちの海っ子。「手で穫ったほうがはやい」と、熊手を放り投げての、手探り&手掴かみでした。久しぶりの潮干狩り。雨も上がり、暖かかったこともあり、たくさんの人で賑わっていました。室見川というのは、こんなにも都心を流れているのに、本当に恵みの川です。上流では、ツガニ(モクズガニ)が、生息し、中流では、シジミが生息し、そして、下流では、少し前なら、シロウオ。そして、今はアサリ。たくさん、たくさん、バケツ一杯、穫れました。アサリの入ったバケツを覗きながら「あー、伸びとう、伸びとう。潮ば、出しよう。美味しく作らないかんね」と、無邪気にはしゃぐ、妻。でも、そうです。自給自足とは、言わば命の選択。犠牲と責任。だから、美味しく、作らなきゃいけません。そして、美味しく、いただきます。うん。
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ながさき暮らし。



びっくり。実は、こっそり、妻とhpなどで、行政などのサポートを調べていたところでした。そんなときの村長さんの日記に、ながさき暮らしのことが。GWにお休みがとれたなら、ゆっくり下見に行こうとしていたところでした。長崎の最西端、外海町は、とても海と夕日が美しい場所です。長崎の最西端と言うことは、本土の最西端ということ。なので、僕は、勝ってに外海町は、日本のロカ岬(ユーラシアの西の果て、ポルトガルにある岬)と呼んでいます。近くには、ド・ロさんが作った教会もあります。母方は、その外海町の隣町、琴海と言う町で、米、みかん、ざぼん。茂木というところで、ビワを育てていました(オトナになって、高級品ということを知りました)。なので、僕にも、きっと、半分、農家の血が流れている。と、期待をしています(都合良すぎですが)。ゆくゆくは、なるべく自給自足をしながら、デザインをし、そして、妻は帽子を作ったり、魚介類をよく使う、ポルトガル料理を作ったり。そんなことを、夢見ています(何年先になるかわからないけれど)。ちなみに、写真は、ポルトガル料理のタコのリゾット(多量のトマトとニンニクと、コリアンダーで、作ります)。うふふ、そして、週末は、潮干狩り(大潮なんですよ)。それから晩は、やっぱり、ポルトガル料理の研鑽。週末は、嬉しいことに、男子も厨房に入れるのです。





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ナガオカさん。



ナガオカケンメイさんが来ますね。わくわく。僕は、ナガオカさんの立ち位置が大好きです。今、改めて見ると、まるでラブレターのようになっていますが…。ナガオカさんの、仕事ぶり(生き方)は、今、デザインのないところをデザインするようになってきて、ますます勉強になっています。ナガオカさんが唱える、ロングライフデザイン。まるで打ち上げ花火のような「広告」よりも、やっぱり胸に響きます。展開力、持続力、浸透力を併せ持った、素晴らしいクリエイション。見よう見まねで、デザインのないところにデザインを作ろうとしていますが、やっぱり、一筋縄では行きません。今、児童福祉(施設)や児童養護の啓発活動になるようなプランを幾つか思案しています。そのなかで、捨てずに次にリレーする「おさがり」をテーマにした企画書を作りました。小さい頃、たまに親戚から着なくなった洋服が送られてきていました。それが、なんだか嬉しくて。服には執着はありませんが、なぜだか届いた「おさがりの服」には、妹と先を争っていました(8つ下の妹は、4つ下の妹のおさがりを着ていました。ぶーぶー言いながらも、似合ってました)。おさがりといえば、今でもよく着ているジャケットは、祖父が着ていたものだったりします。そんな“つながり”が出来ないかな。と、想っていましたが、それはとても甘い考えでした。ここ数年、児童養護施設などに送られてくる、“おさがりの服”は、職員の方から言わせれば「これを、子どもたちに着させるのか」。と、言うくらい、劣悪ものばかりだそうです。そして、その“着ることができない洋服”の処分に労力を割かれているそうです。僕には「現状把握」が欠けていました。デザインをするということは、まず、現状把握から始まり、次に問題点を把握し、ケアしながら、新しい魅力を設定し、戦略を立て、浸透していくように、展開のシナリオを考える訳ですが、スタートから、つまづいてしまいました。むむむです。そんなときに、ナガオカさんの来福。わくわくな訳です。


写真は、穴観音の、藤。桜からリレー。季節は今年も巡ります。

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セヴァン・スズキさんから、うけとったもの。



1992年、リオデジャネイロで行われた地球環境サミットで、伝説のスピーチをした女の子がいました。彼女の名前は、セヴァン・スズキ。当時12歳。彼女のスピーチは、エコを訴えるどんな政治家、環境団体、CSRに躍起になっている企業よりも、鮮烈で、切実で、素直なものでした。ひとりのこどもが、大勢の大人の前で、話すだけでも、すごいと想うのに、ここまで魂を揺さぶるスピーチができる彼女に、ひとりのおとなとして、ただただ、恥ずかしくなりました(と、言いつつ彼女は、僕のひとつ下で、僕が彼女と同じ歳のとき、そういったことは考えてもいませんでした)。後半、彼女は言います。「何を言うのかではなく、何をするのか」と。うん。未来の子どもたちや、消えゆく動植物たちに、僕らができること。それは、ほんのちょっぴりの“欲”を、あっち行け、すること。そして、そのあとに残る、小さな、やさしいキモチが集まれば。ゆっくりだけど、少しづつ、世界は変わっていく。

さて、そんな彼女が日本に来ます。アースキャラバン2008。日本中を巡ります。近くに寄られた際は、ぜひに。

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季節のかたみ。



今朝の雲はもう居ません。その代り風が訪れてくれます。季節の移り変りを見るのが、私は好きです。なにより有り難いのは前向きの心でいられることでしょうか。幸田文〜季節のかたみ〜

そんな僕は、季節が移ろうときに、疲労と心労で、ダウン。いやはや、なさけないです。からだの凹は、こころの凸で、栓をすることができますが、こころまで凹になってしまうと、凹凹になってしまって、穴だらけになって、どんどん、エナジーがこぼれてしまいます。こころとからだが、ピタッと重なったとき、それがすなわち、“業”な、わけで。ここでもやっぱり、バランスですね。暖かくなり、ほんのちょっぴり、薄着になったので、びゅーんと、飛ばしていきます。
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物語を頭に乗せて。




「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ」須賀敦子〜ユルスナールの靴〜。


10代の頃。帽子なんて、大嫌いでした。しかたなく、帽子をかぶるときはあったものの、しばらく経って帽子をぬぐと、髪がぺしゃんこになっちゃって。しんなりと。でも、今は帽子が好きです。帽子をかぶると、何だか、街に出たくなります。海に行きたくなります。自然と口笛を吹いてしまいます。自転車に乗りたくなります。そして、今度の帽子は、物語のあるテキスタイル。小さな時間の重なり。はやくかぶるのが、待ち遠しいのです。わくわく。
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